護国の橋

利用時間
年中無休

利用料金
無料

主要目的
休憩

施設
駐車場
ご紹介
日本による植民地時代に作られ、6・25戦争(朝鮮戦争)中に爆破されたが、1933年に復旧された。洛東江の戦いを記念し、「護国の橋」と呼ばれるようになった。 1941年に倭館鉄橋が架設されたことに伴い、鉄道橋梁から人道橋へ変わった。漆谷の夜景に大きな役割を果たしていた橋の周辺に、音楽噴水や多目的広場が新しく新設され、漆谷のランドマークとなった。 護国の橋の下に護国と平和、自由と繁栄を念願する平和音楽噴水が造成された。中央の太極文様は瞳を形象化している。6・25戦争当時、55日間にわたった洛東江防御線の戦いを象徴するため、長さ62.5mの噴水台に最高噴射高さ55mでデザインされている。